奈良県議会議員 山下 力
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山下 力の日記
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2006年04月25日
またまた悲しい別れが

 さる23日の日曜日は御所市議選の投票日で、いつになくソワソワ、ワクワクしていました。岸上健ちゃんの三度目の選挙は病魔を抱えたしんどい戦いです。ありがたいことにそれを知っている支援者の動きは活発で不安材料はどこにも見当たらなかったのですが心配は心配だったのでしょうか。なにか落ち着かない朝でした。午前9時28分に携帯でんわが鳴り響きました。ポンコからです。すでに涙声でよく聞き取れません。「シマちゃんが死んだんやて」「いま県立奈良病院から自宅に運ばれてるそうです」といっているようです。「しまちゃんて、嶋崎のことか。なんで死んだんや」「心筋梗塞ということです」とのやりとりをしながら私はへなへなと椅子に座り込んでしまいました。 
 嶋崎光博。1965年生まれの40歳。師と仰ぎ、兄と慕った故池原茂光同志にオルグされて、’84年県立王寺工業高校を卒業と同時に解放同盟県連の専従になりました。青年部運動を束ねながらさまざまな経験を積んで成長し、県下最大の部落である西田中支部が支部最高幹部らの利権で生じた壊滅的な大混乱を収束し30歳の若さで支部長に推挙されたのです。若者からだけでなく、おっちゃんやおばちゃんからも「シマやん、シマちゃん」と呼ばれた人気者でした。昨6月の大和郡山市議会議員補選に「立候補したい」と相談を受けたときには、我が意を得たりとばかりに「とうとう決意したか」と喜んだものです。
 実弟・博巳、西川雅章、新沢数秀、池原茂光、そして嶋崎光博。どうして私の周辺で共々に戦いを仕組んできた若き同志が、次から次へと私をおいて先に逝ってしまうのか、悲しみをこえて恨めしさがこみ上げてきます。わが不徳と自らに言い聞かせるのですが腑におちません。ひょっとしたら、自らの存在がかさぶたになって伸びようとしている若い芽を摘み取っているのでは、と「引退」も考えています。ながす涙も枯れ果てました。とにかく、しんどいです。

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