奈良県議会議員 山下 力
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山下 力の日記
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2006年07月25日
「弱いものいじめ」が大事に

子どもが犠牲者となる痛ましくもやるせない事件が頻発しています。川崎、秋田、そして地元・田原本でなんの罪とがもない子どもが殺されました。加害者は、子煩悩が評判の三人の子を持つおとうさんであり、お隣に住むおともだちのおかあさんであり、日ごろから信頼し思慕しきってきた自分らのおにいさんです。子どもらにとって夢想だにしなかったであろうかかる不条理をどう理解すればよいのか、私にはわかりません。しかし、子どもらが周りのすべての人を疑心暗鬼で警戒しながら生きねばならないとしたら、これほどむごいことはないのでは、と心が塞いでしまいます。  
加害者の側にもいろいろと人生のしがらみがあり、もがき苦しむ事情があったに違いありません。そんな現実から逃げたいとか、そんな現実を清算したいとの思いに駆られた経験はひとりかかる大罪を犯した人間に特有のものではありません。人間誰しもが、大なり小なり経験してきたものです。問題は、どうして子どもらを己らの苦悶からの逃避や清算の道連れにしてしまうのか、というところにあります。いみじくも、川崎の事件の加害者が言っています。「自殺を考えたが、出来なかった。他人を殺せば死刑にしてもらえると思った。自分より弱い女性や子どもを狙った」と。これをうけてある心理学者が「この事件は、最初から自分も死ぬ気の犯行で『拡大自殺』と呼ばれているものです」という解説をしていました。こんな分析からどんな教訓や展望を導き出せるというのでしょうか。
“自分より弱い女性や子どもを狙った”という動機こそ、あらゆる差別と人権侵害の根拠となってきたものです。どうやら、人間誰しもが「悪性」や「差別性」という厄介な心の闇を抱え込んでいるのでは、と思います。そして、われわれが日常生活のなかで垣間見る差別的な言動に、勇気を持って根気よく「異議申し立て」をし、わが内なる倫理観・正義感を刺激して心の闇と対峙することでしか、このような「大悪」「大罪」を回避することは不可能では、と思えてなりません。

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