奈良県議会議員 山下 力
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山下 力の日記
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2007年05月06日
統一地方選を終えて

 パソコンのごきげんがすこぶる悪く、わがゴルフと同様にトラブルの修復に手間取る連休でありました。
 とにもかくにも四月統一地方選が終了しました。民主党県連としては、候補者の擁立が遅れに遅れた吉野郡選挙区以外での県議選で9名、市町村議選で全員の当選を果たしたのですから万々歳であります。しかし、部落解放同盟の立場からすると、わが三宅町で栗本鉄也氏を落としてしまった事実は様々な意味でわれらの運動の今ある立場の象徴的な表現として真剣に分析しなければならないでしょう。
 自分のことにひきよせて省みれば、いやはや今回の無競争当選はこのうえもなく有難いものでありました。昨四月に若干41歳の島崎光博君が心筋梗塞で急逝し、大晦日には中本誠二君一ヵ年に及ぶ「すい臓がん」との闘いに力尽きて59歳で死去、かてて加えて二月二十四日、ここ数年来、「大腸がん」「肝臓がん」と苦闘してきた岸上健次君が53歳の生涯を閉じてしまっていたのです。昨十月二十八日に七回忌を済まして、わが運動の片腕であった池原茂光君を失った悲しみをやっとのりこえられたのかな、と思えるようになった矢先であります。これまで自分をささえてきてくれた両手両足をもぎとられ、唯ただ”神も仏もあるものか”とぼやくしかすべのない日々が続いていました。みなが皆、他にかえがたい有能な才能を持っていた同志であり、同じ事務所で苦楽をともにしてきたきょうだいであるだけに、彼らを失ったショックから当分の間、解放されそうにありません。だからこの無競争当選はありがたかったのです。
 もっとも、この「無競争」のシナリオを書けたのにはそれなりの背景があります。じつは、この四年の間に、若い同志だけでなく後援会関係でもわたしは大切な人々を亡くしていたのです。過去二十数年間、私の選挙区でもっとも手薄であった川西町を水面下でささえきってくれていたサンオリエント化学(株)の中村秀雄社長。田原本町でビラ配りやオルグなど地味でしんどい分野を中心で担ってきてくれた「力友会」を二十年余、統率してくれてきた木村隆さん。親友・原田昌和君の死後、こころよく後援会長を引き受けていただき、先の選挙で指揮をとっていただいた三宅道信先生。これら後援会の重鎮ともいうべき人材を亡くして途方にくれているわたしの耳元に、「山下の後援会長ををもつと長生きできへんで」などの流言蜚語も届いてきました。まさに恐縮至極というしかありません。こんな折、高校の同窓で、昨年度の田原本町自治連合会会長であった永井満智男君が後援会代表に就任してくれて支援組織が一気にひきしまったのです。外から見れば、「前回の苦戦の轍は踏まない。トップ当選の座を奪還する」という意気込みが映し出されたようです。たとえ、その実態が虚構であったとしても、私を長年支え続けてきてくださった重厚な先輩・友人の存在は事実であり、その輪の中で描かれたシナリオが「無競争当選」であったと思っています。このありがたくも暖かいふところのなかで私は癒され、ほどなく生気をとりもどせそうであります。乞う。ご期待。

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