奈良県議会議員 山下 力
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三宅町長選挙をめぐっての私の態度のとり方 2008年06月02日

 さる四月二日、森田忠町長が記者会見で「行政改革と三宅小学校の耐震化に一定の目途がついた」とし、自身の健康状態に鑑みて、今夏に任期をおえる町長職から引退する旨の意思表示をされました。三宅村に奉職してからの51年間、まことにご苦労様でした。とりわけ、病と格闘しながらの三期目のがんばりは見事というほかありません。本来ならば、森田町長の引退は三宅町の町政の幕引きとなるはずでありました。しかし、04年11月に桜井磯城合併協議会第六回会議で、突如、田原本町が離脱宣言をしたことで合併が白紙に戻ってしまったことはご案内のとおりであります。“合併でしか三宅町の確かな未来は展望できない“というのが議会および町民のおおかたの意向であったがため、リハビリ中の森田町長に私も町長選挙で三度目の出馬をすすめました。引退記者会見で、森田町長が毅然として言い切られた「広域での市町村合併を目指して欲しい」という熱い思いは私もまったく等しく同感するところであります。町長選挙の不可欠のテーマでしょう。

 合併が頓挫して以来、様々な機会に、いろんな人たちが町長選挙のことにふれてこられました。その際、私は必ず「厳しい三宅町の財政状況から見れば、合併問題が避けて通れない課題である」と述べ、この窮状を切り抜けるためには財政問題に明るいトップでなければ三宅町民は浮かばれない、といい続けてきたつもりであります。町長選挙をめぐって私とやりとりをしてきた少なからずの人たちの口から出ていた具体の名前はそんなに多くはありません。ほとんどの人が「米田副町長」の名前をだしてきました。彼は町内に親類縁者がいると聞いたことがありません。生まれてこのかた、大和高田市に住まいしてきた人です。しかるに、三宅町政の運営で森田町長に次ぐながい実績を重ねてきたなかで、各界各層の町民から厚い信頼を受けきた「副町長」に白羽の矢が向けられるのは至極当然のことといわねばなりません。

 私も機会を作って幾度も米田氏と話し込んできました。三宅町の課題と将来展望についてほとんど認識が一致するに至っていると私は思っています。だからこそ、私は米田氏に町長選への出馬を繰り返し要請してきました。昨年末まで、何度も会い、会うたびに同じことを言い続けてきました。もちろんのことですがこの間、森田町長にも意見をうかがってきました。また、米田氏との懇談のなかで、私以外の多くの人たちも同じく米田氏に町長選挙への決意を促しておられる事実も知らされてきています。しかし、「三宅町長は三宅町民のなかから選ばれるべきである」との彼の信念を突き崩すことができませんでした。

 そうこうするうちに昨年末、私の幼友達のひとりであるN氏(元県庁職員)から「町長選挙に出たいから応援して欲しい」と唐突な要請がありました。「いま、なぜ、君が、町長にならねばならないのか」との私の当たり前の質問に、N氏の答えがありません。ただ「町長になりたい。三宅町をよくしたい」とつぶやくだけの彼に、「七期・25年間、磯城郡の住民に支えられ政治活動をしてきた者として君の申し出に責任を持てない」と言ってその場でお断りをしました。また、あちこちから町議会の議長であるU氏(彼もまた私の幼友達)が町長選挙の根回しをしているとの情報が伝えられてくるではありませんか。しかもU氏の町長選挙出馬の主たる動機が「役場から山下県議の影響力を消す」というのですから驚きです。新年早々の「高取町町長・逮捕」のニュースも飛び込んで、これでは三宅町長選挙が茶番化してしまうのでは、との心配がつのってきました。

 町長選への出馬を固辞する米田氏に私は角度を変えて意向を打診しました。今日の三宅町政の厳しい状況を直視するとき、「米田副町長にどうしても残って欲しい。この際、あんたがこの町長とのコンビであればひと汗ながしても苦労のしがいがある、と思う人を役場の内外から探す努力をしてくれないか」と申し入れたのです。すったもんだがありました。現職の課長、しかも定年まで数年ある人に白羽の矢がむけられたのですから。米田氏から私にもボールが投げ返されてきました。私も説得につとめました。森田町長にも意見をうかがいました。「県議。信吉くんならやれますよ」との評価です。

 3月末をもって植村信吉氏は退職しました。彼の潔い決意に拍手をおくります。すぐる30有余年、部落解放運動という住民運動・市民運動をともに展開してきた仲間として彼を高く評価しています。今般の町長選挙で私は自信と確信を持ってすべての町民に植村信吉氏を推挙いたします。子どもやお年寄り、障害を持つ人々への彼のまなざしは澄んでいます。接する態度にぬくもりがあります。さまざまな分野で行政経験を積んできました。これからの行政の重要課題であるNPOなどとの協働などは彼の得意分野ではないでしょうか。この町長選挙で、部落解放運動や同和対策、人権対策が堂々と表に出されて論議されることは歓迎するところでありますが、陰でコソコソと誹謗・中傷することはやめてもらいたいとねがっています。これまでの心ある人々の努力と誠意で前進してきた人権のとりくみを後退させていいはずはないでしょう。彼の若干の足跡を紹介します。
・・・町の行政事務の合理化のためIT導入で中心的役割を担いました。
・・・担当課長として行政改革の推進のための国の新たな指針をうけて、諮問機関・「行政改革推進委員会(委員長 吉村安布氏)」を立ちあげ、一昨年6月に出された「最終答申」に基づき“三宅町集中改革プラン(平成18〜22年度)”を策定しました。
・・・障害者(児)が地域で共に生き合う取り組みの拠点・通所施設「ひまわり」の設置に一役担いました。
・・・上但馬保育所・乳児園を廃止し、幼・保一元運営という画期的な乳幼児教育の実践に賛同し、運動体の意思をまとめました。
・・・上但馬児童館を全町に解放し、子ども会指導の経験を生かし保護者の念願であった学童保育をたちあげています。(通所児童70名余のうち、上但馬の児童14名)
・・・上但馬団地にある120戸の町営住宅の運営を全国一律の方針に統合し、空き家募集の対象を町内外に開放しました。
・・・京都市、大阪市、奈良市などで昨今、指弾されてきた「同和不祥事」を二十年以前から指摘し、十五年前に川口グループ と分裂して「なら人権情報センター」を設置し、DVや児童虐待の相談活動に力をいれてきた運動の変革を担ったひとりです。

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